寝静まる街を見下ろして

 

寝静まる街を見下ろして
昼間とは少し違った澄んだ世界に耳を傾ける
登り疲れたこともどうでもよくなった
風と呼ぶには程遠い微弱な空気の流れが景色をくすぐる
心の中でも何かがわずかに揺れた気がした
よく知っている交差点が目にとまった
信号が一方は赤だけ、一方は黄色だけ点滅している
いつもと違う一面を見た気がした
貨物列車の音が、気づかないほど微かに聞こえる
近くに線路はない
こんなところまで響くんだとしか思わなかった
遠くの高層マンションの、ところどころに明かりが点いている
昔からあるあのマンションのねもとが何処にあるか、今も知らない
だけどその知らない誰かもまだ起きている
顔も名前もわからない誰かとの不思議な仲間意識を感じた
何を考えてあの窓の向こうにいるのだろう
目を閉じても彼らの心ひとつとも通じなかった
そういえば歩く人の姿は一人も見ない
車は時々走っているようだ
今やっと帰りなのかな、お疲れ様、運転気をつけて
表情も変えずにそう思った
伝わることを願ってそう思ったわけじゃなかった
ただ子守りのように眠る街を見下ろした
ふと見上げると、いつの間にか月の在処を見失っていた
雲に隠れていただけだった
とれないかな、そう思って、再び現れた仄明かりに手を伸ばす
まったく届かなかった
手は両手ともポケットに突っ込んだままだったから
ため息をついても声が出ない
声が出たのに気がつかなかっただけかもしれないし
ため息なんてついていなかったかもしれない
そんなことどうでも良かった
石段を降りて帰ろうとしても空は明るくなる気配もない
主導権は世界が握ったままだった
一番下まで降りて、振り返り、そして見上げる
よく知らない神様にお邪魔しましたと頭を下げる
すべて心の中で
頭を下げるのも心の中で
伝わることを願ってそうしたわけじゃなかった
ただ消えるようにしてその場を去った
最初から来ていなかったのかもしれないし
誰もこんな場所知らなかったのかもしれない
それももうどうでも良かった
考えたかったことは結局、何も考えられないままだった
でも、それでも構わなかったかもしれないと思える時間だった